今から69年前の 昭和22年9月1日 長崎バスの車掌さんが殉職し
大勢の乗客の命を救いました
現在は 事故現場近くに 「打坂地蔵尊」が建てられています
昔の打坂はどうだったろうと 気になっていましたが
最近 昔の打坂の地図を ネットでみつけました
さらに 当時撮影された空撮も みつけました
まず 私が撮影した 打坂の画像を紹介します
2007年9月1日
9年前 時津の「さばくさらかし岩」の近くから撮影した「打坂」です
手前が時津側 奥が長崎方向で 打坂の峠があります
2016年9月1日
左が時津 右が長崎方向です
時津川を挟んで 西側からの撮影です
去年撮影した 打坂地蔵尊です
向かい側に カーネルおじさんがいます
2016年9月1日
時津川と拡幅さた打坂の国道です
右上に KFCの屋根が見えます
さらに 関連記事から スタンフォード大学図書館が保持する
スタンフォード大学図書館所蔵の 5万分の1地形図「長崎」から
時津港から滑石付近までの地図です
横尾 滑石 道ノ尾 百合野など 今でも知っている地名が見えます
画像をクリックすると大きくなります
空撮画像は 国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを利用しました
左の地図に 位置と大きさを合わせました
地図では 橋のマーク付近から「打坂」がスタートしたようです
橋の近くのマークは ダムか発電所かなと思いましたが
今では使われていない 「水車」のマークでした
県立図書館で調べたのですが 国土地理院が 昭和23年5月に発行した
「長崎北部」の地図も 昭和9年のものと あまり変わりはありませんでした ところが…
打坂周辺の空撮画像を 探してゆくと
事故の起きた直後の 1947年11月7日撮影の空撮画像を見つけました
米軍が撮影した画像でした
画像をクリックすると大きくなります
空撮画像は 国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを利用しました
中央の画像は 打坂の事故の約2か月後に撮影されたものです
時津方面から直進して打坂に行く道路が見えます
周囲に民家はあまりなく ほとんど山と畑と水田だけのようです
空撮画像は 国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを利用しました
1966年から1973年の間に 道路の拡張工事が始まったようです
打坂地蔵尊は 昭和49年(1974年)10月19日に 建立されましたが
道路拡張工事の為 昭和62年(1987年)12月 現在の場所に移されたそうです