昨日は 26聖人殉教の日でした
ネットで 26聖人関連の記事を巡回していると
驚きの記事を 発見しました
「西坂の26聖人の像は 全て大浦天主堂の方向を向いていますが、今ではビルに阻まれて…」
このほかにも 似たような内容を書いているサイトが いくつかありました
おそらく 「大浦天主堂は 殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている」
「正面は西坂の丘に向けられています」 などの 間違った記事から
それなら 「26聖人像も大浦天主堂の方向に向いているはずだ」と
自分の目で確認しないて 推測で 書かれたのだろうと思います
26聖人が殉教した場所が「西坂」だとわかったのは 昭和になってからです
それまでは 立山付近だと考えられていました
そして 実際に大浦天主堂が向いているのは しいて言えば 浦上天主堂の方向です
今日は 県営バスで 西坂よりも上にある 「五社神社下」に行きました
ここから 階段を下りながら 26聖人像が見る ビルが無い景色を 推測しました
2015’02/06 09h29m
26聖人像の正面です
2015’02/03 09h18m
26聖人像の前から 正面を見ると ビルで ほとんどが目隠しされています
2004’12/12
それでも 約10年前には 右奥に 女神大橋の橋脚付近が 見えていました
2015’02/06 09h01m
「五社神社下」バス停です ここから階段を降りて 西坂公園へ行きました
白丸が大浦天主堂です
奥は 鍋冠山で さらに奥は 長崎市の最高峰「八郎岳」のようです
2015’02/06 09h02m
バス停の近くから 大浦天主堂と 手袋岩と 西坂公園を見ることができました
ここから見て 西坂公園の正面は 大浦天主堂ではないのが ハッキリわかります
09h03m
大浦天主堂です
09h03m
西坂公園です 赤っぽいタイルが 26聖人像が見ている正面方向です
09h04m
おそらく 26聖人像が見ている 長崎港と手袋岩の方向です
09h27m
さらに公園に近づいた場所からの長崎港の画像と
26聖人像前の正面からの画像を合成し
前のビルが隠している景色を推測してみました
山の稜線などから見て あまり誤差はないと思われます
26聖人像は 手袋岩(白丸)と 女神側橋脚の間方向を見ているようです
やや 手袋岩寄りですが
2008’09h59m
鍋冠山展望台から見た 「手袋岩」です
「手袋岩」の下に洞窟があり
江戸時代に活躍した日本人宣教師の「金鍔次兵衛」が隠れていたそうです
近くに 「金鍔」バス停があります
「金鍔次兵衛」は 2008年長崎市で行われた列福式で 福者となりました